漫画原作から続く、理想と現実の物語
「沈黙の艦隊」というタイトルを聞いて、懐かしさを覚える人も多いのではないでしょうか。
原作は、かわぐちかいじ氏による同名漫画。1988年から2001年まで『モーニング』(講談社)で連載され、当時としては異例の“政治×軍事×哲学”を描いた社会派作品でした。
一隻の原子力潜水艦〈やまと〉を軸に、「国家とは何か」「独立とは何か」「戦争を止める力は誰にあるのか」を問う壮大な物語。
核を持つ一隻の原子力潜水艦が、世界の軍事バランスさえも変えるという内容に胸躍ったのを思えています。最後まで読んでないですけどね。。。。
そして2024年、その物語が再びスクリーンに帰ってきました。
本作『沈黙の艦隊 北極海大海戦』は、2023年に公開された実写映画『沈黙の艦隊』に続くシリーズ第2章。
現代の国際情勢を背景に、海江田艦長率いる潜水艦〈やまと〉が北極海でアメリカと対峙するという、よりスケールの大きな展開が描かれます。
静かな深海を舞台に、国家の思惑と個人の信念が交錯する。
原作を知らなくても楽しめますが、背景を知っていると物語の奥行きが一気に深まります。
今回は、そんな『沈黙の艦隊 北極海大海戦』を観て感じたロマン、疑問、気づきなどをまとめました。
原作と映画の違い──現代版『沈黙の艦隊』が描くリアリティ
1988年に始まった漫画版『沈黙の艦隊』は、冷戦構造を背景に「国家の独立」と「信念の衝突」を描いた作品でした。
しかし今回の映画版では、世界の構造が“多極化”へと変化しています。
アメリカ・中国・ロシア・日本・ヨーロッパが複雑に絡み合う中で、〈やまと〉の存在が“新しい秩序の象徴”として描かれています。
■ 現代政治を反映した脚本
原作では理想主義的だった海江田の行動も、映画では現実的な政治の板挟みとして描かれています。
防衛省・政党・マスコミなど、誰が正義かを単純に決められない構造。
まるで現代日本の「決められない政治」を象徴しているようでした。
■ テクノロジーと人間の判断
AIやデジタル通信など、現代技術を取り入れたことで戦闘シーンに緊張感が生まれています。
しかし同時に、「最終的に決断するのは人間だ」というメッセージが際立ちます。
これは経営でも同じで、どれだけ情報が整っても、“決断”を下すのは人間自身です。
■ 海江田艦長の信念と成熟
大沢たかお演じる海江田艦長は、理想に殉じる男というより、理想を現実に落とし込む戦略家として描かれています。
感情を抑え、冷静に判断する姿勢に、“静かな強さ”を感じました。
批判されても、信じた理想を貫く。リーダーの本質がそこにあります。
海江田艦長とアメリカ大統領──二つのリーダーシップ
この映画を観て印象的だったのは、海江田艦長だけではありません。
もう一人、私が共感したのはアメリカ大統領の決断でした。
海江田が「信念を貫くリーダー」だとすれば、
アメリカ大統領は「未知を受け入れるリーダー」でした。
〈やまと〉という新しい価値(新しい世界線)が登場したとき
彼は今までの世界の常識をもとに〈やまと〉を敵として撃沈しようとしていました。
しかし最後は、〈やまと〉(新しい世界線)を受け入れるというリスクを選びました。
これは、立場も、国益も超えた「人としての決断」だったように思います。
未知(新しいもの)を恐れず、最善を尽くして決断する。
それは経営や人生にも通じる行為です。
未知を迎える勇気が、組織を、そして世界を動かすのだと思いました。
まとめ:沈黙の中にある、リーダーの決断
『沈黙の艦隊 北極海大海戦』を観て感じたのは、
「信念を貫くこと」「未知を受け入れること」――この二つのリーダーシップが共鳴していたということです。
海江田艦長は、信念を貫くために沈黙を選び、
アメリカ大統領は、未知を受け入れるために沈黙を破った。
どちらの決断にも“恐れ”があり、“覚悟”がありました。
声を上げるよりも、静かに決断するほうが難しい。
しかし、それこそがリーダーの本質ではないでしょうか。


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